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『人生の一冊』 _読書エッセイ

佳作

『人生の一冊』

安田愛

 「素直だねぇ。」

 どこに行っても誰と会っても必ず言われる、私の唯一の誉め言葉。「意地悪いようなところ一つもないわ~」これもだいたい後に続く。

 もちろん、嬉しくないわけではない。けれど、私は素直な性格で得した記憶など一度もない。むしろ、人を信じて傷ついた記憶しかない。私は「素直」な自分が心底嫌いだった。

 幼稚園に通う頃から、私は本をよく読んでいた。正確には強制的に読まされていた。

 母は、私が本を読んでいる姿を見ると、分かり易く喜ぶ。「本を読む子は賢く育つ。」という持論があるらしく、幼いながらに中々苦労したものだった。

 小学三年生のクリスマス、私はサンタさんに、当時流行っていたゲームのカセットが欲しいと頼んだ。二十五日の朝、頭の横に置いてあったプレゼントを早々と開け、急かす気持ちでカセットを探した。もう右手にはゲーム機を準備していた。けれど、探せど探せど、カセットはない。代わりに出てきたのは『クリスマスのりんご』と大きく書かれた一冊の本だった。

 (何がりんごだよ!)

 心の中で悪態をつきながら、母に泣きついた。今思うと本当に申し訳ないが、九歳の私はサンタさんを責め続けた。母になだめられてもしばらく読む気にはならず、クリスマスが終わっても本を開けることはなかった。

 それからしばらくして、風邪をひいた私は学校を休み、暇を持て余していた。その時、机の上で埋もれていたその本と目が合った。

 (まぁ暇だし、本でも読むか。)

 そう思った私はパラパラとページをめくり始めた。

 その本はいくつかのクリスマスのお話が書かれていた。その中の一つ、本のタイトルでもある「クリスマスのりんご」という物語。この物語が私を変えた。

 主人公は心優しい時計屋のおじいさんだった。クリスマスの夜、イエスキリストに贈り物をするという風習がある村で、おじいさんは何年も贈り物をしていなかった。なぜなら、何年も時間をかけて豪華絢爛な置時計を制作していたからだ。やっと完成した年のクリスマス、事件は起きた。村の大富豪が、病気で寝込む母のために薬を分けてほしいと頼む娘に、薬を渡す代わりに置時計を要求したのだ。娘に頼まれ、おじいさんは置時計を渡した。置時計以外何も持っていなかったおじいさんは、贈り物として小さなりんごを持って行った。事情を知らない村人たちはおじいさんを責め続けた。村人たちの悪態が飛び交う中、重い足取りでおじいさんはイエスキリストの銅像の下にりんごを置いた。するとその時、聖母マリアに抱かれたキリストが小さなりんごへと手を伸ばしたのだ。

 読み終わった後、九歳の私は気付けばぼろぼろと泣いていた。おじいさんが村人たちに責められている場面を読んだとき、自分の事のように苦しかった。悔しくて、悲しかった。キリストがおじいさんのりんごへ手を伸ばしたとき、なんだか心が救われた気がした。

 (本ってすごい。)

 本気でそう思った。文章がこんなにも人の心を動かすことを私は初めて知った。

 それから何年も経った高校生の夏の日、私はもう一度この本に救われた。当時私は不登校だった。部活動でのいじめが原因だ。いじめの主犯は私が一番信頼していた親友だった。 いじめが始まっても、私はその子を信じていた。大好きだったから。たくさんの時間を共に過ごした友達だったから。だからこそ、その事実を確信した時、もう死んでしまいたいと思った。どんなに苦しくても、誰も助けてくれなかった。誰も信じてくれなかった。けれど、たった一人、母だけはいつも私を支えてくれた。

 「見てくれている人は必ずいるから。」

 そう言って、ただ抱きしめてくれた。

 不登校の間、家の本を読み漁っていた私はあの本と出合った。そして、私を変えた物語をもう一度読んだ。

 気付けば私はやっぱりぼろぼろと泣いていた。九歳の自分と同じように。あの頃より大きくなった手で必死に涙を拭っても、止まらないほど泣いた。

 「見てくれている人は必ずいる。」

 その言葉がなぜか心にすっと落ちてきた。私の事を分かってくれる人は必ずいる。イエスキリストがおじいさんのりんごに手を伸ばしたように。そう思えた。

 今年、私は二十歳になる。傷つくことも、裏切られることもこの先きっと何回もあるだろう。それでも自分を見失わず、真っすぐに生きる大人になりたい。そして、そんな自分を誇れる大人になりたい。

 私の人生の一冊がいつだって勇気をくれる気がするから。

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