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『友達文庫』 _読書エッセイ

佳作

『友達文庫』

植田郁男

 かれこれ四十年も前のことである。中学二年生の春。校庭をぐるりと巡る櫻は、ほとんど散って、葉桜に変容を遂げようとしていた。

 窓際から二列目の一番後ろが、私の新しい席になった。その隣にいたのが、T君である。

 まだ小学三年生ですと言われたら、そのまま信じてしまいそうな、小さな体をした男の子。

 頭脳明晰であることは、様々な学科で課された小テストの結果から、すぐに明らかになった。時には、先生を論破するという、反抗期の男子によく見られる青臭さも持ち合わせていたが、唯一、体育の授業だけは例外だった。校庭に出ることもなく、教室の窓から、動き回るクラスメイトに視線を送るだけ。その理由は、誰も知らなかった。

 休み時間は、常に何かしらの本を読んでいた。中学生には不似合いの、どれも高そうな装丁のハードカバーの本。体の小さい彼には、不釣り合いのように見えた。

 席は隣同士だったが、無口な彼と交わす会話はなく、私にとっての休み時間は、他の男子生徒同様、仲間と他愛ない会話をしたり、時々女子をからかったりするだけのものであった。

 そんな私が彼と交流を持つことになる、ある事件が起きる。全校避難訓練の時、階段で躓いたT君を、とっさに受け止めたはいいものの、私自身もバランスを崩し、二人して蒲田行進曲よろしく階段を落ち、保健室に運ばれたのだ。幸い二人ともかすり傷程度で済んだのだが、転落に巻き込んでしまった罪悪感から、私は彼に声をかけた。

 「巻き込んじゃってごめん。大丈夫?」

 そう言うと彼は、痛かったねぇと大笑いした。何がそんなに可笑しいのかと尋ねると、転がったのが久し振りだったからと、嬉しそうに答えた笑顔は、今もまだ覚えている。

 そんな事があってから、しばしば彼と話をするようになった。私は流行りのテレビ番組の話、彼はいつも読んだ本の話ばかりだった。あまりに彼が楽しそうに話すので、ある日気紛れに、お薦めの本を貸してほしいと頼むと、翌日彼は私に一冊の本を手渡した。ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』であった。

 本を読む習慣のなかった私だったが、ノーチラス号が次々に出くわすハラハラドキドキの展開に、一気に引き込まれた。初めて本を「面白い」と思った瞬間だった。

 それから夏休みまでの間に彼から借りた本は、世界観こそ様々だったが、どれも物語に引き込まれる要素が満載のものばかり。私は夢中になった。覚えているだけでも、『宝島』、『ガリヴァー旅行記』、『蠅の王』、『パピヨン』などがある。

 読み終わる度に、T君と感想を語り合うのが、休み時間の一部になったのは、当然の流れであった。

 ある日、ふと思った。いつも面白い本を貸してくれるT君に、何かお返しが出来ないかと。そこで頭に浮かんだのが、休日には書斎に籠って読書に明け暮れる父の姿であった。四畳半の部屋には、机が一つと、巨大な本棚が一つ。そして、壁沿いにぐるっと据え付けられた棚があった。その棚には、父の大好きな、司馬遼太郎さんの本がずらりと並んでいた。何より、巨大な本棚には、岩波書店から出されていた、日本人作家ごとの全集が収められていた。

 さっそく、T君にその事を伝え、読みたい作家を聞くと、二重にした紙袋に、その作家の全集を詰め込んで渡した。渡したのは、夏目漱石の全集だった。夏休みの楽しみが出来たと、T君は小さな顔に満面の笑みを浮かべて、それを受け取ってくれた。私もその顔を見て、満足したのを覚えている。「自分は芥川龍之介の全集を読むから、夏休みが明けたら、目一杯感想を語り合おう」と約束して、一学期を終えた。

 だが、その約束が果たされることはなかった。重い心臓病を抱えていたT君が亡くなった事を知ったのは、二学期の初日であった。

 T君のお母さんが、学校にいらっしゃり、彼に貸していた夏目漱石全集を私に返しながら、「仲良くしてくれありがとう」と何度も頭を下げられた。その時は、驚きと悲しみでただ泣くことしか出来なかった。

 その数日後、図書館の一角に、T君が所有していた多くの書籍が並べられ、「友達文庫」と名付けられた。改めてみると、その大半が冒険譚であった。

 他の子と同じようには体を扱えなかった彼は、きっと本の世界で躍動していたのではないだろうか。彼が飛び、跳ねた、友達文庫の百冊近くの世界を私が渡り終えたのは、受験シーズン間近の中学三年の秋であった。そして、彼が見るはずだった冒険の続きは、私が引き受けている。

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