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『読書とわたしと家族』 _読書エッセイ

佳作

『読書とわたしと家族』

根本祐一

 「本を読んでいるお父さんの後ろ姿が嫌いだった」、「お父さんの部屋には入りにくかった。わたしの誕生日祝に集まったはずの娘たちから思わぬ言葉を聞くことになる。「もっと遊んでほしかったのに」。もう遠い昔のことなのに、初めて聞かされる娘たちの不満の声だった。当時のわたしは、本を読むことを自分に課していた。きっかけは往復4時間の通勤時間にあった。毎朝5時30分発の始発電車に乗り、夜は9時過ぎ帰宅が普通のことだった。休日以外は子供の寝顔を見ることが多かった。妻も大変だったと思う。高校を卒業したわたしはすぐに働き、26歳で結婚した。若さゆえに生きることに気負があった。通勤4時間のハンデは大きかった。この時間をなんとか活かしたかった。「本を読むべし」と決めた。早朝の電車は目を閉じている人が多かった。座ると眠くなる「立つべし」と決めた。立てば照明にも近く、足腰も鍛えられる。趣味の剣道にも役立つ、一石三鳥だと気付いた。手頃な岩波文庫の星一つから読み始めた。ジャンルは決めずにひたすら星一つを読破し、次に星二つ、三つと読み進む読書へのチャレンジだった。休日には一日中本を読むことにも挑戦した。娘たちの不満の声はこの頃のことだと思いあたる。定時退社ができるときは駅近くの図書館で乗り継ぎの時間を調整しながら本をめくった。文庫本専用の本棚もあつらえた。活字中毒という言葉も知った。転勤するまでに星四つまでステップアップした。おかげでいろんな本を読むことになった。読書の習慣も身につき、本を読むことが楽しくなった。その中の何冊かは自分の生き方をサポートしてくれた。時に人生に迷い悩みながらも本に助けられた。子供たちには不評だった読書への挑戦は、老後の楽しみと幸せにつながっている。書道や将棋など他の趣味もあるが、一日の中で読書の時間がいちばんいい。昔のような情熱はなくなったが、いまは心のおもむくままに本を開いている。最近は仏教書や自然に関するもの、健康本などが多くなった。また、人生百年時代を生きる大先輩たちの生き方に学んでいる。「学べば旬」を晩節の励みにしている。さて、若き日の父親に苦言を呈した娘たちはスッキリしたのか話題を変えはじめた。「あの本おもしろかったわね」、そうそう『大きい一年生と小さな二年生』だったわね。「もう一度読んでみたい」。娘たちが幼い頃に買ってもらった本の思い出になった。なつかしい話題が続きしばし付き合うことになった。すると今度は、ねえねえ聞いて、「うちの子は、一日中ゲームばかりやっていてこの頃ぜんぜん本を読まないの」。いやいや「うちの子なんて受験生なのにまったく勉強に集中できないの」。どうやら今度は孫たちのダメ出しになった。本好きな孫が本を読まなくなったのは気になるが、そんなに騒ぎ立てることでもあるまいと思いながらここは聞き役にまわることにした。すると、「ジイちゃん、今度孫たちを本屋へつれていって、いい本を読ませたいの」という。ジイちゃんの出番が来ていると言いたいようだ。話の流れが建設的になってきた。すると、「そうだ、今から皆んなで本屋に行こう!」と長女が唐突に言い出した。「本代はお父さんもちでね」。いい提案でしょ、と長女はしたり顔になった。「ただし一人3冊までだぞ」とわたしもまんざらではない。すると妻も、「お父さん調子にのりすぎよ」と言いながら、わたしも欲しい本があるのでよろしくねとのってきた。本ほど安いものはない、本は借りずに買って読むべしと言い続けてきたので訂正はしたくない。なじみの本屋がなくなってしまったが、近くに大きなブックストアができた。本好きのわたしにとっては願ってもない環境だ。ふらっと出かけて、出合いがしらに手にした何冊かを買って帰るのが好きだ。さて、さて今日はわたしの誕生日祝のはずだが、後片付けも早々に本屋に繰り出すことになった。親子そろって本屋は何十年ぶりだろうか。みんな思い思いの本を手にしてニコニコしている。「お父さんありがとう」の声に押されて会計を済ませた。少々お高い出費となったが、ここは本より安いものはないのだから。次は子供にもお願いねと末娘が首をすくめた。わたしも先日中古の本棚を買った。もう一度読み返えしたい本や、思い出の本、未読の本専用の本棚が欲しかった。リサイクルショップで一目見て決めた。本好きの人の本棚と直感した。オーダーメイドで、外観も美しく、収納スペースにも工夫が見られ、本への愛情が感じられた。長い読書生活の中で最後にこの本棚に出合えたことは運命的でラッキーだった。ていねいに掃除をして、いまわたしの本が入っている。これから先いつか、孫たちがわたしの本棚に興味を示すときがくるかもしれない。それまではこの本棚の前に立つ日常をたのしみにしたい。

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