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『やさしさの点』 _読書エッセイ

優秀賞

『やさしさの点』

見澤富子

 夜十時。リビングでプツンプツンと点字を打つ。目が見えない母の日課だ。物心つく頃にはすでに母は目が見えなかった。家の中は手すりだらけで、外を歩くときも白杖が欠かせない。

 私がお腹にいるとわかった時、母は親戚中から反対にあった。目が見えないのにどうやって育てるのか。そもそも預け先はあるのか。それでも母はそんな声をものともせず、出産に挑んだ。父の転勤もあり、産後すぐに見知らぬ土地での子育てが始まった。初めての授乳。おむつ替え。沐浴。どれも母ひとりでは困難を極め、お隣さんに手を借りた。哺乳瓶の飲み口を鼻の穴に入れそうになったことは数知れず。ウンチの拭き残しに気づかないこともよくあったとか。

 私が歩けるようになるとさらなる問題がふりかかる。何せ母は『見えない』のだ。家の中で転んでも、ジャングルジムから下りれなくなっても、声をあげなければ母は気づかない。そんなわけで私は人一倍声が大きくなってしまった。

 「えらいわねえ」

 保育園に行く途中見知らぬ女性に声をかけられた。母の手を引いて歩く姿は見る人からすればまるで『介助者』。しかし母は母で私を育てようと必死だった。知り合いから譲り受けた『ももたろう』や『鶴の恩返し』。それらに自分で点字シールをつけて毎晩私に読み聞かせをした。

 『む・か・し・む・か・し・あ・る・と・こ・ろ・に』

 指で点字をたどりながら読む。そのたどたどしさと言ったら、ない。そんな苦労を知ってか私はひらがなが読めるようになるとすぐに自分で絵本を読むようになった。

 しかし入学早々試練が待ち受ける。どうやら保護者は一人一役。何らかの役員を引き受けなければならないという。

 「全盲のため、どの委員ができるか分かりませんが、できることはやらせていただきます」

 役員決めの日。母はすまなさそうに頭を下げた。会議録を残す書記。通学路の見回りをするパトロール。子ども達の写真を撮るアルバム委員。どれも目が見えない母には難しい。そんな母に先輩のお母さんが言った。

 「絵本の読み聞かせ委員はどうですか」

 読み聞かせ委員とは月に一回。朝の十分間担当クラスで絵本を読むというもの。母は「それなら」と言い、準備を始めた。だが絵本の文章を点字に起こす作業は難航。何せ『まみむめも』だけでも点を二十五個打たないといけないから一筋縄ではいかない。夜の十時過ぎ。プツンプツンという音が響くリビング。思わずひょいと顔を出す。

 「ほら、子どもはもう寝る時間だよ」

 それはどこか「わたしがはたをおっているときはけっしてへやをのぞかないで」と言った『鶴の恩返し』のワンシーンにも重なる。

 そんな母の作業は明け方まで続いた。やっと完成した点字ノートは辞典のように分厚く、何だか努力の厚みみたいだった。

 「今日はぐりとぐらを読みますよ」

 読み聞かせの当日。母はみんなに分厚い点字ノートを見せた。はじめての点字に一同、目が点になる。だけど母の流暢な読み聞かせにその目はさらに点になった。

 「とみちゃんのお母さんすごいね」

 私はちょっぴり頬を赤らめた。

 結局母は六年間読み聞かせ委員を務めた。点字ノートが完成してもそのあとは地獄のような練習が待つ。打っては読む。読んではつかえる。毎日がそのくり返し。

 「そろそろやめたら」

 しびれを切らした父は言った。それでも母は「目が見えなくても子どもの喜ぶ表情はわかる。それが嬉しいの」と聞かなかった。子どもたちの反応が『読み手』としての彼女を支えたのは間違いない。

 あの時母が読んでくれた本は一体どれくらいあるのだろう。残念ながらその一つ一つを鮮明に思い出すことはできない。しかし自分で読んだ時とはちがう感動が、目には見えない作者の想いが、声に乗ってじんわりと届く。そう。本って、一ページとか、一冊じゃなく、一人なんだ。

 今はテクノロジーの進化により、わざわざ自分で点字を打つ必要もなくなった。それでも母が読んでくれた本の記憶は今も胸に残る。プツンプツンという音や『む・か・し・む・か・し』と読んだ、あのぎこちなさも一緒に。

 『あわてちゃ だめだめ ぐりとぐら のんびりいこう どこまでも』

 やさしさの点で綴った強い意志。それを見てふと気づく。母のおかげで大きくなったもの。それは声じゃない。心だ。母も「うれしい」と言ってくれるだろうか。その答えをいつか天国で教えて欲しい。

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