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『私を本好きにしたのは』 _読書エッセイ

優秀賞

『私を本好きにしたのは』

沢絵美子

 私を読書家にしたのは本を読まない父だった。

 父は幼い娘から度々発せられる質問に辟易していた。「なぜ月は追いかけてくるの?」「なぜ空は青いの?」というような子どもの素朴な疑問。一度や二度なら微笑ましいが、これがあらゆる切り口で毎日繰り返されていた。
そこで父は娘に子ども用の科学雑誌を買ってきた。「お前の知りたいことは大体これに載っているはずだ。」これによって父は娘の質問攻撃を見事にかわした。娘は熱心にその雑誌を読んだ。父がホッとしたのも束の間「これ、どういう意味?」と、今度は雑誌にある耳慣れない単語を指差して意味を尋ねるようになった娘。またしても娘の質問攻撃に苛まれる父。父は再び策を練る。

 ある日仕事から帰ってきた父は子ども部屋で寝転ぶ私の前に、どおんと分厚い辞書を置いた。「これからわからない言葉があったらこれを使って全部自分で調べなさい。いいか、人に聞いたことはすぐに忘れてしまう。でも自分で調べたことはきっとずっと忘れない。わかったな。わかったらもうお父さんに何も聞くな。」そう言ってぽかんとする私をおいて父は去っていった。そう言われた私はわからない言葉があったので早速辞書を引いてみた。辞書は子ども用ではなかった。広辞苑第四版。私はまだ八歳だった。「お父さん、書いてあることがわからない。」「わからなかったらそれをまた調べなさい。」「それを調べてもわからなかったら?」「それももう一回調べるんや。」父は頑として私の質問に答えなかった。父はもう何も教えてくれない。自分で調べるしかない。そう悟った私はそれ以降、父に質問することはなかった。父の勝利である。

 父には妙な教育方針があった。「子どもにお金を与えてはならない。」父曰く「お金というものは人からもらうものではない。自分で働いて手に入れるものだ。」と。お小遣いが欲しい時は父の工場の内職をすることになっていた。お小遣い欲しさに内職をする小学生の私に、父は呪文のようにこのセリフを繰り返した。今になればそんな極端な方針はよくないと思うのだが、子どもの頃はそういうものかと思っていた。そんな父も本は欲しいというだけ買ってくれた。私は自然と本を読む時間が増え、本に親しむようになっていった。

 父はある日二冊の『赤毛のアン』を買ってきた。少し前に私が読みたいと父に話していたのだ。なぜ同じ本が二冊なのかと不思議に思っていると「こっちは子ども用、こっちは大人用。お前にどちらが良いかわからなかったから両方買ってきた。好きな方を読みなさい。」と父は言った。せっかく二冊あるので私は両方読むことにした。並行して両方読んでいると、二冊は大体同じなのだが、子ども用の『赤毛のアン』は平易な言葉が使われ、子どもがイメージしにくい昔のものは今の表現に置き換えられていることが分かった。子どものためにわかりやすく書いている、そんなふうに思う私ではなかった。「これ子どもだからって馬鹿にしてない?」プリンスエドワード島の美しい自然の描写部分が丸々カットされているページに対して、私は生意気にも憤りを感じたのである。その時私は妙に納得した。もし私がこのまま勉強しなかったら、ずっとこの平易な言葉でごまかされてしまうということを、真の描写に出会えなくなってしまうということを、そして本物の本は私の知らない世界を教えてくれるということを。それから私は何かを確かめるかのように様々な本を開いて読んだ。幼い私なりのまだ見ぬ世界へのアプローチだったのかもしれない。もう少し成長するとそれは内省の手段になり、思春期は本を読むことで自分と向き合っていた。

 私が「大学で文学を研究したい。」といった時、父は腑に落ちない顔をした。「好きにしたらいい。ただしお父さんは何もできない。」工場を失ったばかりの父には私を大学に進学させるお金はなかった。「お金は自分で働いて手に入れる。」私は父にそう言った。あの妙な教育方針がなければ私はお金がないという理由で大学進学を諦めていたかもしれない。私は必死にアルバイトをしながら学費を稼ぎ、大学、大学院へと進んだ。楽な道ではなかったが、あの頃の私を支えていたのは、分厚い辞書を引きながら本を読んでいた八歳の私と、二冊の『赤毛のアン』を読み比べた十歳の私だった。文学研究は一冊の本を最大限に深く読む試みであり、それはこの世界や人間を深く知ろうとする試みであった。文学研究に携わる時間はとても幸せだった。そしてその時間が今の私を支えている。本は今でも私の傍にあり、いつでも私の前を照らしてくれる。図らずも父は私に本という灯台を与えた。

 さて当の父は「俺はお前みたいに本好きではない。なぜお前がそこまで本好きになったのかよくわからん。」と今でも腑に落ちない顔をしている。

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