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『読書のバトン』 _読書エッセイ

佳作

『読書のバトン』

山田幸夫・大阪府・73歳

 私が中学校の教員になって、初めて担任した二年五組に武志がいた。始業式の日、禁止されている変形学生服で登校してきた彼を注意すると、「アカンかったら帰ったるわい」と、捨て台詞を残し、帰ってしまった。

 夜に家庭訪問をすると、母親が申し訳なさそうに「先生、すみません……」を繰り返す。そんな母親の姿に居たたまれなく「明日絶対に学校来いよ」とだけ言い、家を後にした。

 翌日、登校してきたものの変形服のままである。注意すると、暴言が飛んできた。
「センコー、お前が学校へ来い言うから来たったんやんけ。殺すぞ!」
 私も大人げのない言葉で応酬したことを覚えている。売り言葉に買い言葉だった。
 彼の問題行動は、枚挙にいとまがないが、私の指導は焦れば焦るほど、自分自身を追い込み、疲弊していくのが自覚された。

 夏休みに入ってすぐのことだった。夜、テレビを観ていると電話の音ががなり立てた。地元警察署からだ。無免許でバイクに乗っていた武志を引き取りに来てほしいと言う。

「えっ、私ですか」と、親ではなく私への連絡に思わずそう問いかけていた。

 仕方なく引き取り、成り行きで私の自宅まで連れて帰ったのである。そして、「おかんが、心配してる」と言う彼に代わって、私から母親に電話を入れた「今夜は私の家に泊まって、明日連れて帰ります」と。

 一晩中、彼と話した。学校では不貞腐れた反抗的な態度が常だったが、この夜は素直な中学生そのものである。翌朝、茶髪の彼に戸惑っていた五歳の息子も時間と共に打ち解け、武志からも話し掛けている。息子に「マンガ本、あるん?」と尋ねる声も優しい。息子も「うん、あるよ」と言い、私の書斎に入って行く。入るやいきなり彼が、素っ頓狂な声を挙げた。
「先生とこ、ごっつう本、あるやんけ!」

 呼び方が、「先生」になっている。部屋全面据付けの本棚にびっしりと本が積み上げられた光景に目を丸くしている。「本は好きか」と問うてみたが、黙ったまま、学校の国語の教科書を並べた棚に目をやり、積み重ねてあったコピー本の一冊を手に取ってページをめくった。それは、国語の教材で生徒たちに配布する予定の太宰治の『走れメロス』だった。
「それ、持って行ってもええぞ」と言うと、少しの沈黙のあと、ポケットに入れた。

 新年度になり、三年生も私が担任をした。

 四月恒例の家庭訪問で、彼の家へ行った時のことだった。本棚の代わりだろう段ボール箱の中に教科書と並び、あのコピー本と数冊の文庫本を見たのである。それだけのことで、安堵の気持ちが湧いてくる自分に苦笑しつつも、彼を少し信じることにした。

 その後も順風満帆とは言えなかったが、授業の態度は明らかに変化がみられるようになる。問題行動があっても、このまま彼を信じることが私のできることだと言い聞かせた。

 とうとう、いや本音では、やっとだ。卒業式の日を迎えた。朝、ドキドキしつつ校門で待ち構える。標準服の武志が来た。頭髪も黒い。……目の奥が熱くなる。式場で卒業生の名を呼ぶ私の声は震えていた。厳かな式が終わり、式場を出たとたん、彼は私に言った。

「先生、ありがとな。……初めて読んだあの走れメロス、おもろかったで。……友のために自分の命を懸けることができる奴がおることに、びっくりしたわ。……そんときな、オレの中で何かが生まれた気がしたんや」

 これは、遠い過去の私にも経験がある。この「何か」が大切なのだ。予想だにしなかった彼の突然の言葉に呆然。気の利いた何かを言おうとしたが、私の涙声は口の中で滑るだけで、音にならなかった。

 ――二十四年後、二〇〇九年三月三十一日。

 武志は、どこで知ったのか、私の退職の日に、花束を抱えて校長室へやって来た。大阪市内で建設会社を営んでいると言う。

 彼は、中学卒業後の道筋を話す中で、高校の図書室で見つけた本のことを話した。直木賞受賞の杉本苑子の『孤愁の岸』を読んだそうだ。河川工事に命を懸ける人々に惹かれ、その道に入るきっかけになったと言う。杉本苑子の全集も持っていると言い、「まだ先生の家の本棚には勝てんけどな」と笑った。

「先生も読んだら?」と彼に勧められるまま杉本苑子全集を市の図書館で借りた。彼が感動したと言う一巻の『孤愁の岸』から読み始めて、すぐ虜になり、全二十二巻読了まで一年も要しなかった。その読後感想文を冊子にまとめて彼に送ったのである。

 数日後、一冊の読後ノートが送られてきた。彼も作品を読むごとに感想を書いていたのだ。一ページ目には、あの時に渡した『走れメロス』の感想が熱を込めて書かれていた。そして、同封されていた便箋には「本との出会いを作ってくれた先生に感謝」とあった。……再び目が潤む。

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