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『私のワンダリングノートはいつ完成するのだろうか?』 _読書エッセイ

佳作

『私のワンダリングノートはいつ完成するのだろうか?』

中村ゆま・東京都・51歳

 私と言えば文学作品をほとんど読むことなく中学を終えてしまった。それまでは少女漫画や雑誌ばかり読んでいたのである。だから本格的な文学作品との出会いは、高校時代の国語の教科書の中であった。第三志望にも入ることができなかった私の高校生活は当初、悲嘆の一途であった。行きたくもない高校に電車通学を強いられた私は益々心がすさんでいった。そんな中、国語の授業などはもっとも退屈で居眠りの時間となる教科のはずであった。国語は中年の物静かな女教師が担当していた。その教師は「私は非常勤の身分なのです。だから皆さんとクラブ活動で交流をもったり、いっしょに修学旅行に行ったりとかはありません」と自己紹介した。私も非常勤の高校生という身分があればそうなりたかったと考えていたから、妙にこの女教師に親近感を持った。その教師から授業中に指名を受けて音読したのが林芙美子著作の「風琴と魚の町」であった。林芙美子は、原籍は鹿児島で、北九州生まれ。波乱の人生を主に尾道と東京の間を行き来しながら過ごし、大ベストセラー「放浪記」を書いた女流作家である。私はこの音読の際に、主人公の話す方言がとても自分の口に馴染みやすかったのを覚えている。なるほど私と主人公は同じ九州出身だったのだ。音読後、その女性教師から「大変上手でしたよ。」と褒められたことも非常に印象的であった。教師から褒められたのは久しぶりであり素直に嬉しかったのである。そういう事がきっかけで、私はこの女性教師の国語の授業には真面目に取り組んだような気がする。

 しかし、高校卒業後、短大に進んだ私はしばらくまた文学に触れることもない流された学生生活を送ってしまった。そして親の勧めるままに見合いをし、わずか半年後には地元で結婚式を挙げ、夜行列車に乗って上京したのだった。初めて東京駅に降り立ったとき私は林芙美子のことを思い浮かべていたのだ。彼女も尾道から恋人を頼って初めて上京した際、この風景にきっと圧倒されたのだろうと思った。私も迷子になりそうな地下街の雑踏、駅前の超高層ビル群、丸の内のオフィス街を歩く美しいファッションモデルのようなOLたちに涙が出そうなほどに圧倒された。田舎から上京したての私は夫に手をひかれて上を見たり下を見たりこけないようにしながら本当にもらわれてきた子犬のようであった。そういう訳で、私は再び林芙美子という女流作家に大変な親近感と興味を持つようになったのだった。

 結婚したてのころ、夫は帰りが遅いうえ、近くに友人もいない私は、隣町に竣工した新図書館に初めて行ってみた。林芙美子の著作品を読みたいと思ったからだ。そして林芙美子集を借りて帰ったのである。しかし、わずか二週間後に図書館に本を返すのが惜しくなった私は、書店で新版「放浪記」を購入入してしまった。漫画などしか読んでこなかった私が書店で文学作品を購入するなど本当に信じられないことだった。私は枕元に「放浪記」を置いて毎日少しずつ読み進めた。日記形式になっていたので私のような書物音痴でも毎日欠かさず読書を続けることが出来たのだと思う。早熟で頭の良かった芙美子が恋人を追って東京に出てからの厳しい生活は、私の日常とはけして大きく被ることは無い。時代がやはり違うのだ。しかしながら女の悲しみや苦しみ、怨念などに共感してしまうことが一杯あった。「うん、うん、わかる、わかる。そうだよねえ。こんちくしょう、腹がたつよね。」私は思わず声に出したり、喝采したり、主人公と一緒に涙を流したりした。特にパート先で上司や同僚に馬鹿にされたような気がした時などは放浪記を読まずにはいられなかった。

 私も結婚してからの生活習慣の違いや子育て、夜泣きすると思えば発熱する娘には本当に苦しんだ。相談相手もなく、親元に帰りたくても遠すぎて帰れない現実の厳しさ、田舎から都会に出てからの劣等感だらけだった自分のわびしさやみすぼらしさを紛らわせてくれた友人のような存在は唯一この本であったのだ。

 そして、娘が高校生になり、また教科書で林芙美子と出会うかもしれない今でさえも、この本は私の精神的な支柱となってくれているのだ。自分などはちっぽけでこの大都会の中では小さな働き蟻のような存在かもしれない。けれど、私にだって五分の魂と熱い血潮が流れているのだ。この東京で、もう少し自分の力を試してみることもありではないだろうか。そう思えるような自信とやすらぎをこの本は私に授けてくれたのだ。馬鹿にされても「こんちくしょう、このおたんちん。」と心の中で叫んでは自分をもう一度鼓舞して、くじけず頑張ってみよう。あの放浪記の中の主人公と一緒に。

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