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「洋食屋物語」 _読書エッセイ

佳作

『洋食屋物語』

織田桐真理子・鳥取県・61歳

「じゃ、行ってきます。」
 古びた木の扉をあけ、息子と娘が飛びだして行く。子供達の見慣れないサラリーマン姿に私の方がなにやら照れ臭い。
 一台の車と一台の自転車を見送り、自分の身支度がまだなのに気付きあわてて部屋に戻る。
名札を持った、ハンカチも持った。よし、出勤。ふと視線を感じ目をやると五年前に急逝したコック着姿の夫の遺影が笑っている。
 毎朝のことだ。遺影の後ろには、『世界の食べ物』という十四巻の百科事典を様した本がならんでいる。
 私と夫は今から四十年前、周囲の反対を押し切って結婚した。生活は厳しかったが幸せだった。そんなある日、私は小さな本屋さんで一冊の雑誌を見つけた。『世界の食べ物』という雑誌で、一冊四百六十円。毎週刊行され全巻購入すれば百四十冊。十冊ごとに別売のしっかりしたファイルにとじれば十四巻からなる世界の食べ物百科事典になる。
 内容はとてもすばらしいもので、デパートの大食堂のコックをしていた夫に、ぜひとも買ってあげたかった。が、一ヶ月で二千円近くなる。大分迷ったが買っていくことにした。夫は大変悦び、今は決められたメニューしか作れないが、いつかこの本にのっている料理を作れるようになりたいと目を輝かせながら言った。
 では、今、夫の遺影の後ろにある百四十冊はその後私が頑張って全巻買ったものなのかというとそうではない。これはまた別のストーリーがあるのだ。
 五十冊ぐらいまで集めた頃、私は初めての子供を授かった。夫は、本を買うのをやめて少しでも子供のために貯金していこうと言い、私もそうすることにした。それから五年ほどすぎ、子供も二人になり多忙の中で本の存在を忘れてしまった。夫の勤め先が閉業することになり、私たちはなけなしのお金で小さな洋食屋を開店した。夫婦二人だけれど、子供たちも小学生の頃から手伝ってくれた。
 開店して二十年がたったある日のことだった。
 ご婦人お一人のお客様がいらっしゃった。
 いつもは御夫婦でいらっしゃる常連さんだった。お会計の時、ご婦人が私におっしゃった。
「突然ですが、主人が先日他界しました。遺品の整理をしておりましたら、大分昔のものですが料理の本がございました。宜しかったらもらってほしいのですが。主人は料理には無縁の人でしたが良い本ということで集めて大切にしていたのです。主人はこちらのお店が大好きでしたので、こちらにもらっていただけたら主人も喜ぶかなと思いまして……」
 私たちは御言葉に甘えて頂くことにした。
 後日、送られてきた荷物をあけ私たちは驚いた。そこには『世界の食べ物』百四十冊、十冊ずつファイルに閉じられ、十四巻からなる食べ物百科事典の完成形だった。
 そう、昔、途中まで集め、そしてあきらめ、いつのまにか存在すら忘れてしまったあの本だ。
 商売を始めて二十年。ハム、ベーコン、アイスクリーム、すべて手作りであるがゆえの疲労。それに加え、いつ終るかわからない店のローンの返済に私たちは料理の楽しみすら忘れていた。
 私と夫の心に暖かいものがあふれてきた。
 頂いた本をみつめ、夫がポツリと言った。
「俺、明日からまた、初心に戻って頑張る」
 そしてその十年後、
「楽しかった」という言葉を残し、彼は旅立った。
 夫亡きあと、私と子供たちはまわりの応援もあり、店を続けた。少しずつではあるが売り上げも伸びてきた。
 そこへコロナ禍はやってきた。
 悔いは残らないと思えたところで、私たちは閉業を決めた。
 子供たちは一度もこの店から出たことがない。
 他人と働くことは大切な経験だ。
 そしてお父さんが敷いたレールではなく、自分達が敷くレールの上を走ってみようと。
 私たちは閉業を前向きに考えた。
 店の器具備品はそのままにしてある。
 いつの日か、子供達自ら洋食屋を始めようとした時こそ、一から始めればいい。
 その時、子供達は『世界の食べ物』を開くだろう。料理の本は沢山あるが、必ずこの本を最初に開くだろう。
 古き良き洋食屋、心かよいあったお客様、そして、自分達の師匠であった父親に再び会うために……。

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