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「夜明けの会」 _読書エッセイ

優秀賞

『夜明けの会』

磯前睦子・愛知県・64歳

 ご主人の実家が木曽の妻(つま)籠(ご)近くにある友人がいた。私を含む仲間たちはその友人に誘われて、名古屋からたびたび木曽に遊びに行くようになった。友人のお姑さんが一人住む古い家からは、中山道が見下ろせた。「和宮の大行列がそこを通って行ってねえ、木曽の道中で荷物が四つなくなったって。それでお侍が四人腹切らされたって、気の毒にねえ」と、おばあさまは中山道を見下ろしながらお茶を飲むのだった。

 中山道、木曽路と言えば藤村の『夜明け前』だ。木曽に遊びに行くばかりで誰も『夜明け前』を読んだことはなかった。ならば読もうと六人ほどが集まり、一人のメンバーの自宅を会場として、月一回の読書会を持つことにした。『夜明け前』を読むのだから、その読書会を「夜明けの会」と名付けた。

 『夜明け前』は文庫本で四冊である。文中には、遊びに行く馴染みの細かい地名がたくさん出てきた。再びその土地を訪ねた時は、ここで半蔵が、ここでお民が、寿平次が、と物語の人物が立ち現れてくるような気がした。

 物語の中によく登場する「名物栗こわめし」とは、おばあさまが作って下さる栗おこわのことだった。今では普通のおこわよりも栗おこわの方が、ご飯よりも栗ご飯の方がだんぜんご馳走に思うけれども、「田んぼが少ない木曽で米は貴重でね、少しでも量を増やそうとして栗を混ぜたんだよ」とおばあさまは言う。木曽に行く度に食べる五平餅は、半蔵とお民の新婚の朝にも出されたものだ。

 月一回の読書会に欠席する人もいるから、次の会はいついつ、本は何章までという事務的な連絡をする必要があり、私から「夜明けの会通信」という連絡メールを送ることにした。同時に会で話し合われたことなども書くようになり、読書会の記録にもなった。次回のための参考図書を紹介したり、当時の制度のことなど調べて分かったことを得意げに(!)書いた。それに対して他のメンバーからも追加の情報や感想なども寄せられ、バラエティーに富んだ通信になっていった。

 そして一年後、それぞれが自分の気にいった一節を朗読して、『夜明け前』を締めくくった。その時、一人が呟いた「ボケる前に読めてよかった」と。

 それで夜明けの会は解散かと思っていたのだが、もっと続けようということになった。名前だけは誰でも知っている、教科書にゴチックで載っているような、だけれど一人ではなかなか読みきれない、そんな本を選ぶことにした。次は『平家物語』となった。それも一年かかって読んだ。

 そうしてこうして「夜明けの会」は十年続いて今に至っている。誰にとっても十年の間にはいろいろなことが起こる。木曽との縁を作ってくれた友人はご主人の定年を機に木曽に引っ越し、栗おこわを作って下さったおばあさまは亡くなった。病気や怪我、子供の結婚、孫の誕生、ご主人をなくされた方も、メンバーそれぞれの十年が過ぎ、そして等しく全員が十歳年を取った。多少のメンバーの入れ替えもあった。入る人もいれば抜ける人もいる。来るもの拒まず去る者追わず、である。

 十年前に№一から始まった「夜明けの会通信」が№一〇〇になった時に、それまでのものをまとめ、A5版で一三〇ページほどのソフトカバーの本を手作りした。次は№一〇一から№二〇〇まで、次は……と「夜明けの会通信Ⅰ」から「夜明けの会通信Ⅳ」までの四冊が手元に残った。今は№四五九だ。それが五〇〇迄行ったら「夜明けの会通信Ⅴ」にまとめよう。

 会費無し、参加費ゼロ、ゆるゆるの会だけれど、ゆるゆるの会だからこそ、ゆるゆるの会にしては、濃い会となった。ともかくも継続は力だ。

 「夜明けの会」を「日暮れの会」に改名したほうがいいのでは、という意見も出るこの頃だ。いつかこの会も終わりの時を迎えるだろう。その時には最後にもう一度『夜明け前』を読んで解散しようと話している。それまでは、ボケる前に読めてよかった、と思える読書を続けていきたい。

 今は「レ・ミゼラブル」を読んでいる。これも一年かかりそうだ。

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