• 家の光協会が開催する
  • さまざまなコンテストや
  • 地域に読書の輪を広げる
  • ための講座等を紹介します

一般社団法人 家の光協会は、
JAグループの出版文化団体です。

家の光読書エッセイ賞

『本』

松田良弘・大阪府・44歳

 妻に頼まれた本を探しに、私は一軒の書店を訪れた。しかし本のタイトルも作者も分からない。それは頼んだ妻自身も同じだった。妻から与えられたヒントは“大切なものを探す物語”これだけ。探しものをする物語を探す、なんだか不思議な感じがした。

 ある日妻が、

「お願いがあるの。仕事の帰りに書店に寄ってもらえないかしら?一冊、読み返したい本があるの。タイトルも作者も覚えていないけれど、昔その本を読んで心に衝撃を受けたことを思い出したのよ。どんな内容だったかも忘れたけれど、なぜかあの本が、これからの人生で役に立つような気がするの」

近所に書店がないため、読書好きの妻は本を手に入れるのにいつも苦労していた。普段仕事に追われて、妻のために何もしてあげられていない私は、せめて買い物ぐらいならと、この頼みを引き受けた。

 私は本を読まない。書店にもめったに来ない。棚いっぱいに並んでいる様々なタイトルや作家の名前を見ても、私にはそれに反応するアンテナがなかった。頼れるのは店員さんだけだった。私は、近くにいた店員さんに声をかけた。店員さんはしばらく何かを考えた後、一冊の本を手に取った。

「探す・心に残るオチ、このキーワードを考えると、今思い当たるのはこれです。間違っていたら次の本を探します。なんだか宝探しのようでワクワクしますね」

店員さんは楽しそうに笑った。

 それは求めていた本ではなかったが、妻は店員さんが探してくれた本を読んで、

「すごく面白い!」

と、嬉しそうだった。私は再び書店を訪れ、先日の店員さんに声をかけた。

「違いましたか。申し訳ありませんでした」

店員さんは丁寧に謝ってくれた。

「いえいえ、あの本もすごく面白かったと妻は喜んでいました。店員さんのセンスに感謝していましたよ」

妻の顔を思い出すと、私も嬉しくなった。

「そうですか、それはどうも有難うございます。あの本は私も大好きなんです。でも悔しいですね。よし、次の本を探します!」

店員さんは気合いを入れるかのように、拳を突き上げて本を探しに行った。

 それから一年あまり、私は書店に通い、店員さんに本を探してもらった。ある日、

「今回は自信があります。これは私が中学生の時に出会った本です。当時、この本で心が揺さぶられたことを思い出しました」

店員さんは、興奮しながら一冊の本を手渡してくれた。

 家に帰ると、妻はタイトルを見てニヤっと笑った。そして、

「正解! さすが店員さん。でも、これはあなたへのプレゼントよ。今は、私よりあなたに読んで欲しいの」

と、私にその本を差し出した。キョトンとする私に妻が話した。

「ごめんなさい。初めは本当にこの本のことを忘れていたけれど、すぐに全部を思い出していたの。その時にあなたに言おうと思ったけれど、あなたが楽しそうに本を探している姿を見て考えたの。いつも仕事で疲れているあなたに、仕事を離れて何かをいっぱい楽しんでもらおうと。そして大切なものに気がついてもらおうと。最近、あなたの顔はすごく穏やかになったわよ。あなたのおかげで、私もいろいろな本を読めて楽しかったわ」

妻は舌を出して笑った。

 本探しはなかなか答えにはたどり着かなかったが、おかげで店員さんとはすっかり仲良くなった。話も面白く、時間を忘れるぐらいお喋りをすることもあった。店員さんは、探している本以外にもいろいろと面白い作品を教えてくれた。そして、それらはどれも妻を感動させた。私も読んでみた。妻が浮かべる幸せそうな顔を、今度は私が妻に見せてあげたかったからだ。人は良い本を読むと良い顔になる、私はそう思った。本を読んでいる時の妻の顔は、すごく安らかな顔に見える。本を語る店員さんの顔は、生き生きしている。私も本の世界の中に入り、そこで二人のような、優しい素敵な顔になりたいと思った。

 星新一さんの「鍵」(『妄想銀行』新潮文庫)。

拾った鍵に合う鍵穴を探すため、旅を続ける男。とうとう鍵穴に巡り合うが、男はその旅で大切なことに気がついた。   

 昔、妻が手に取った一冊の本。その本を探す旅の中で、私は友人が出来た。妻の心遣いを知った。そして、本の楽しさを知った。本は私を変えた。本を開いて新たな世界を旅する。想像を越える物語に心が躍る。ページをめくる時のワクワクとドキドキ。そこには、普段の生活だけでは見えない、感じられない発見や感動が溢れている。私は旅を続ける。片手に本を持ち、片手に妻の手を握って。

ページトップへ