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自分を生きる _読書エッセイ

佳作

『自分を生きる』

林 順子・長野県・46歳

「カチ カチ カチ」、時折「ペラリ ペラリ」。

 心地よい音。時を刻む秒針の音。そして、本のページをめくる音。夫は、隣で本を読み、私も本を読んでいる。毎夜繰り返される、この日常が私にとって癒やしの時間である。

 七年前まで、私は人生の中で文庫本一冊しか読んだことがなかった。理由は、ひとつ。読む意味が分からない。一冊読んだ本は、「断れなかった」。理由はそれだけ。中学時代、クラスメートが読ませずにはいられないとばかりに、満面の笑みを浮かべながら貸してくれた。その勢いに一気に飲まれ、首を縦に振ってしまった。今思えば、薄めの小説である。だが、その日から、どことなく苦痛だった。感想を聞かれては困る。完読することだけを目標にした。笑顔で本を返したこと、苦痛だったことだけを覚えている。

 書店は好きだった。週末には書店によく行っていた。書店は好きだったが、本は嫌い。一目散に雑誌コーナーに向かい、ファッション誌ばかり見ていた。棚に沢山並んでいる本を見ては(誰が読むずら? よく経営が成り立つな)と、真剣に思っていた。

 三十代後半になり、長年勤めた会社をこのまま続けて行くのかと思ったら「つまらない人生だな」と思うようになった。結婚もした、次は子ども、そして育児して、やがて子は巣立ち、気が付けば年を重ねた自分がいる。これが私にとって幸せなのか? こんなことを思う私は変だろうか? 常識という言葉が私を苦しめた。そこから外れている自分と、装おうとする自分。相反する気持ちが抑えきれず、ぐらぐらしていた。どうしたいのか分からない。その中ではっきり聞こえる声があった。

「このままでいいの?」。

 結婚した辺りから、漠然としたなりたい自分像があった。看護師になりたい。何歳になっても社会に出ていける資格が欲しかった。しかし、博打を打つには難しい歳。三十九歳。周りは子育てに躍起になっている。自分の為に、新しい何かを始めようとする友人は一人もいない。また、心が叫び始めた。「このままでいいの?」。

 週末になりいつもの書店に行く。雑誌コーナーに向かう途中の棚で「自己啓発」というラベルが目に入った。そして、運命の本は目の前にあった。『17歳は2回くる』(山田ズーニー著、河出書房新社)。

 背表紙を見ただけで、叫びたくなった。まさにこれだと思った。内容は、著者が大手編集者からフリーランスになるまでの孤独感や苦悩と不安の日々を綴っており、おとなになっても思春期は来ると書かれている。

「いままで何十年築きあげてきた自分や習慣を、一度解体しなければ、未来のふり幅は大きく広がらない。だから、おとなの思春期はすごいのだ。

あばれろ、おとな。

もがけ、おとな。

いい歳をしても、迷って、あがいて、自分のこれからをひらけ。」

 ページをめくる度、古い友達と話しているようだった。痛い……苦しい……嬉しい。 「え?  何?」。文章の波に揺られることの楽しさと、誰もが不安で時に子供のように泣き、人には言えない葛藤があることを知った。いくつになっても、自分のやりたいことをやってもいい。それは、まるでボクシングのセコンドに「大丈夫、行け」と強く背中を押されているようだった。

 それから四年後、私は、看護師になった。あれから、どれだけの本を読んできたか分からない。沢山の著者から、沢山の言葉をもらった。一文でも「ハッ」とすれば、嬉しくて仕方がなかった。自分発見の瞬間だからだ。そして、「なぜ、この文に心が震えたのか?」と振り返り、自分の思いを知った。

 人は、自分が思うほど、自分を把握していない。私にとって本は、「自分を生きる」ことだと思う。潜在的な思いを知り、行動する勇気を与えてくれ、支えてくれる。そればかりが、大切な癒やしとしても堂々君臨する、なくてはならない存在となった。

 こうして俯瞰して改めて思う。人生も、私自身も大きく変わった。

「十七歳は何度でも来る」。これが、私なのだと思う。

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