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叔父と『ハイネ詩集』 _読書エッセイ

優秀賞

叔父と『ハイネ詩集』

板倉孝敬・神奈川県・79歳

 卒寿をとうに過ぎた叔父から、珍しく電話があったのは二年前だった。

 寡黙な人で、滅多な事では連絡してこない。ただ、私が住む地に、地震など天変地異があると、必ず「大丈夫か」と様子を聞いてくる。最後には「ほんなら、達者でな」という言葉で結ぶ。その叔父が、「一寸ばかし頼み事のあってな」と言う。

「何ですか?」と聞くと、しばらく電話口で躊躇っていたが、思い切ったように「『ハイネ詩集』は手に入らんじゃろか?」という。

 私は思わず「えっ?」と言った。一瞬、聞き違えたのか、と思ったからだ。

 あの武骨で、無愛想で、真っ黒に日焼けした姿と、哀しい恋の詩を謳いあげるハイネとが、全く結びつかなかったのである。

 叔父は、天草で蜜柑農家を営んでいる。

 温州みかん、シラヌヒ、清見、晩柑。

 収穫の時期になると、十キロ箱が来る。新米の時期には、南国特有の小粒のキラキラ輝くコシヒカリがぎっしり詰まった箱が着く。「時節の挨拶代り」というのが礼を述べる私への言葉だ。

 引揚者である私は、母が働きに出た都合で、弟と二人、私が中学を出るまで、叔父の家に預けられた。

 弟は、叔父の子供達(従弟妹)の子守。私は田畑の手入れの手伝いをした。

「わしにゃ、痩せ地ながら田畑のあるばってん、お前達ゃ、何もなか。学問で頑張らんば」

「だるやみ(休憩を指す方言)」で、田畑の畦に座ると、握り飯を頬張りながら、よく言われた。言外に、子沢山の家の末っ子に生まれ、上の学校まで行きたかったのに、それが出来ず、家を継がざるを得なかった無念さを滲ませていたようにも思えた。

 だから、私たち兄弟が大学に進み、それなりの会社に就職、結婚したことを何より喜んでくれたのが叔父だった。

裏山を果樹園に変え、みかんの栽培を始めた叔父は、前にも増して多忙になった。

 傘寿を超えて胃癌を発症したが、克服。

 時折、連絡すると「まあだ生きとる」というのが口癖だ。その叔父が「『ハイネ詩集』、出来れば戦時中のハードカバー」というのである。あちこち手を尽くし、神田の古本屋街まで出向いたが、ない。

 あるのは文庫のみ。

 叔父にその旨話すと「そっでよかけん、送ってくれるか」と。

 私は簡単な手紙を添えて送った。

「今、天眼鏡片手に読んどる。間違いなく、中身はこれじゃった」とお礼の電話があり、叔父が弾んだ声で言った。

「何で今頃『ハイネ詩集』ですか?」

「あんたに昔、『だるやみ』んとき、話したこつのあったろが……」

「ああ……、確か、叔父さんが召集されて、佐世保の軍港から、南方前線に向かう前の晩、背嚢に一冊の本を忍ばせたと言う話」

「そうたい。覚えとってくれたかな。あるが『ハイネ詩集』じゃったと」

「あの時、大切な人から貰った、と言ってましたよね。ひょっとしてその人、女性?」

 私は、あの時、大切な人とは、恩師や上司など男性とばかり思い込んでいた。

「わしにも、春はあったとばい」

 照れくさそうに言い、叔父は電話を切った。

 それで思い出したことがあった。

 叔父が、戦線から帰還、長兄の養子となり、兄の決めた女性との縁談と家を継ぐ話になった時、それを渋り、「長崎に行く」と言ってきかないことがあったという。叔父にしては珍しく強硬で、説得に立ち会った母は「温厚な子がどうしてだろう?」と思ったと、生前話していた。その答えが『ハイネ詩集』の送り主にあったということなのか?

〈夜は しずか 路地は ひっそり この家だ あのひとが 住んでいたのは

 あのひとは とっくに 町を去ったが 家はやっぱり むかしのところにある

 あれ そばにひともいる 両手をもんで 身をもだえ 見あげている

(ハインリッヒ・ハイネ、井上正蔵訳『歌の本』「帰郷」-20.夜は しずか-岩波書店、一九五一)〉

 叔父とその女性の仔細は知らない。また知る必要もないことだ。ただ、石部金吉の塊のような叔父に、淡い想いを寄せた女性がいて、その人が、戦の最前線に赴く叔父に、ハードカバーの『ハイネ詩集』を手渡した。

 お互い明日をも知れぬ身。二度と見える日は来ないかも知れない。渡した方も受け取った方もどんな気持ちだったのだろう。

 叔父はその詩集を戦場で失い、その想いを九十過ぎまで、胸に畳んでいた。

 だが、残り少ない人生を考えたとき、これまで封印してきた記憶を紡ぎ出すひと時を持ったとしても、罰は当たるまいと考えた。

 気持ちは、私にもよく分かる。遠い日々の想い出に浸ることが「老年」の生きていく上での縁。それがまた生きる力を産み出す「源泉」だと思うから。

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