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ねえねえと、うちにいないおとうと _読書エッセイ

佳作

ねえねえと、うちにいないおとうと

池田裕美(いけだ・ひろみ)・茨城県・34歳

 五歳の娘がねえねえになりました。おとうとが生まれたのです。
 無事に生まれることができても長く生きられない18トリソミーという染色体異常の病気を持ったおとうとは、出産してすぐに病室での生活が始まりました。
 ねえねえは病室に入ることができず、おとうとと会うことができませんでした。
 ねえねえは、病気のおとうとと会えないことをどのように感じていたのでしょう。「会いたい」というときもあれば「会いたくない」と言うときもありました。「好き」というときもあれば「好きじゃない」と言うときもありました。どちらも、正直な気持ちだったのでしょう。
 おとうとが病室で一生を終える。母には気にかかることがありました。病室だと、季節を感じることができないことでした。
 春の心地よいそよかぜ。夏の日差し。秋のうろこ雲。冬の木枯らし。
 きんもくせいの香り。野いちごの甘酸っぱさ。虫の声。落ち葉や霜柱を踏む音。
 自宅の畑にも、たくさんの季節がありました。冬の寒さをじっとこらえたイチゴの苗に、春には小さな小さな実がなります。夏には、きゅうりをもぎとって、そのままかじります。秋にはどろんこになってお芋ほりをします。そこには、必ずねえねえの姿がありました。しかし、そこにおとうとの姿を見ることはできません。
 病室でも季節を感じてもらいたいと、母は季節ごとの制作物を枕元に飾りました。ねえねえも制作を手伝ってくれました。春にはひな人形や桜の花、秋にはどんぐりや雪だるまを折り紙で折ってくれました。
 病室で季節を感じてもらえるもの。いろいろと考えていたある日、一冊の絵本に出会いました。
 『ぐりとぐらの1ねんかん』
 ぐりとぐりが十二か月、季節を感じながら、仲良く遊んでいます。ねえねえとおとうとも、ぐりとぐらのように、季節の中で一緒に遊べたらよかったのに。
 子供の日の翌日、電話が鳴りました。ぐりとぐらの絵本を抱えて、病院に向かいました。
 心拍数を示すモニターには。0と表示されていました。身体につながれたたくさんのチューブが外されたあるがままのおとうとが、病室の外で待機していたねえねえの元に運ばれてきました。
 「最期に家族の時間をお過ごしください」
 ねえねえがおとうとに向けて絵本を読んでくれました。優しい優しい声でした。季節がたくさんつまった、色とりどりのかわいい絵。そこでは、ぐりとぐらが、季節を感じながら仲良く遊んでいました。絵本を通して、私が、季節の素晴らしさ、そして姉弟の素晴らしさを教えてもらいました。
 ねえねえの読み聞かせが終わると、医師が臨終を告げました。とても短いけれど、とても愛情深い姉弟の時間が、そこにありました。
 ヒマワリが咲く暑い日の午後、たくさんの人の力を借りて生まれてきました。
 コスモスが咲き乱れる夕暮れ、あと数日の命かもしれないと告げられ、涙を流しながら帰りました。
 ツバキが咲く朝、年を越せたことに奇跡を感じました。
 チューリップが咲いた昼下がり、病院の先生から、そろそろ心の準備をと言われました。
 みんなに勇気や元気を与えてくれたおとうと。夏生まれということもあり、お別れ会ではたくさんのヒマワリを使いたい、そう考えていました。花屋にヒマワリが並んだ四月下旬、母は心の準備をしました。旅立ちはその一週間後でした。その時を待ってくれていたかのようでした。
 棺に絵本を納めようとしたら、ねえねえに止められました。「わたしがよんであげるの!」そういうことかもしれません。
 自宅の小さな祭壇には、絵本とヒマワリが飾られています。
 お空のおとうとくん、ねえねえの優しい優しい声、聞こえていますか。

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