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土ってあったかいね _読書エッセイ

佳作

土ってあったかいね

小島映代(こじま・てるよ)・福岡県・34歳

 ザクッ、ザクッ、ザクッ、カツンッ。
 額から湧き出る汗を拭い、鍬(くわ)を大きく振り上げ土を興す。たった二十畳程の小さな家庭菜園を耕しながら、ふと空を見上げると、いつも今西祐行(すけゆき)先生の優しい顔が浮かび上がる。
  
 私は、八歳まで南米ブラジルで生まれ育ちました。二年生の春、母は私達兄弟四人に語学勉強させる為、国境を越え、父方の実家がある神奈川県の藤野の田舎へと引越しました。父も母も共に日本人でしたが、当時の私は日本語も片言で、祖母の家にも靴を履いたまま上がってしまい、叱られたのを憶えています。
 短い春休みが終わり、新しい小学校へ通う日がきました。全校生徒がたった五名の小さな学校でしたが、私には何もかもが初めてで、新鮮で衝撃的な事ばかり満ち溢れてました。
 ある全校集会の朝、校長先生が新しい先生の紹介をしました。髪は白毛が混じり少し長く、麦藁帽子と眼鏡と作業服が印象的で、ニコニコとお話しをするおじいちゃん先生……それが、私が初めて今西先生にお会いした時の第一印象でした。(後に知ったのですが、今西先生は多数の絵本を書かれており、数々の文学賞を受賞されてる凄い先生ですが、あの頃の自分には知る由もありませんでした)
 今西先生は学校教員としてではなく、小学校近くの野原を開拓し、“農業小学校” を開校されるとの事でした。農業小学校は、県内外から小学生を募り、学校のない休日に先生はじめ地域の方々が協力をして、子供達が野菜作りを通して自然や人との調和を学んでもらう学校でした。学校と言っても、教室も机も椅子も教科書も有りませんでしたが、私達には自然の景色そのものが教室であり、土や草花、昆虫、見る物触れる物全てが教科書でした。先生は子供達に、土を耕す事、種を蒔き水を与え草を取り育てる大変さと、育てた野菜を収穫し食する喜びを熱心に教えて下さいました。私も張り切って長靴と首タオルを巻き、鍬を担いで畑に入りましたが、耕された土は想像以上に柔らかく、足を踏み入れると長靴が沈み込んでしまいました。何とか畝を作ろうと、鍬を振り上げても、鍬が重くてなかなか思うように出来ないのです。困ってる私を見つけると、今西先生が颯爽と駆け寄り、ニコニコしながら優しく指導して下さいました。私は、そんな風にいつも優しく温かい先生が大好きでした。私にとって農業小学校は、土の香り、命の育み、食の大切さと自然の美しさを教えてくれた学校でした。しかし、それから二年後、私達は母と一緒に別の地へと引越しをする事になりました。
 いつしか月日が経ち、私は高校生になりました。ある日、書店を散策していると一冊の本が目に止りました。本を手に取ると……
 “土ってあっかいね 今西祐行”
 そうです。今西先生が、あの農業小学校の事を本に書き出版されていたのです。本を開くと、懐かしい写真と共に、開校に至ったエピソードや様々な出来事、私達姉妹の事も書いてあり、時を忘れ読み入ってしまいました。でも、当時は学生でお金が無かったので、本を購入せず書店を出てしまいました。
 あれから更に時が過ぎて、私は現在結婚をし福岡で子供を四人育てる母親になりました。ある時、いつもの様に図書室で子供達の絵本を選んでると、ふと先生の事が浮かび本の検索機に「イマニシ スケユキ」と入力しました。すると沢山の本の中に、なんとあの『土ってあったかいね』が有ったのです! こんな遠く離れた地で、あの本と巡り会えるなんて夢にも思わなかったので本当に本当に嬉しかったです。早速本を借り家に帰って、一つ一つのページをゆっくりと読みました。文字の言葉には、先生の優しさが溢れていて、読み進めているとポロポロと涙が頬を伝い、胸が熱くなりました。あの頃は何も思わなかったけど、先生がとても苦労された事や、自然や子供達への愛が記されていて、いつも土に触れ、虫と話し、風と歌う太陽のように穏やかな先生と過ごした日々が走馬灯の様に蘇りました。たった二年間という短い時間でしたが、私にとって一生忘れる事のない“宝物”です。今は遠く空の彼方へ旅立たれましたが、色々な事を教えてくれた今西先生には、心より感謝しています。
  
 ザッ、ザッ、ザッ。
 仕上げの土を鍬で寄せ、ようやく畑の畝間が完成した。気付けば、太陽は頭上の空高くへと昇り、球のような汗が滴り落ちる。土が付いた袖口で汗を拭うと、ほんのり土の香りがする。心地良い秋風が頬をさすり、遠くで小鳥たちの囀(さえず)りが聞こえる。
 「生きているって素晴らしい!」
 そう感じるこの瞬間が、私の一番幸福な時間である。いつか、私も先生から教えて頂いた“土のあたたかさ”を将来を担う子供達へと伝えていく活動をしていきたいと思います。
  

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