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絵本が結び付けてくれるもの _読書エッセイ

佳作

絵本が結び付けてくれるもの

大村薫・茨城県・38歳

我が家の絵本が二〇〇冊になった。息子が一歳の頃、軽い気持ちで始めた夜寝る前の読み聞かせ。子ども達それぞれが好きな本を一冊ずつ選んできて、余裕があれば私の本がもう一冊加わる。今春、入学して現在一年生。二年後に生まれた娘も幼稚園に入園した。
 小学校に入った息子は、だいぶ文字も楽に読めるようになり、好きな本を図書室でかりてくるようになった。だが、どうやらそれはそれ、絵本は絵本らしい。 子ども達はその時のフィーリングでその日の一冊を選んでくる。だから、寝る前の絵本は内容を知っている本がいい、それで安心できるのだ。私にとっても、は からずも日中の見えない小学校や園での一日が見えてくることがあり興味深い。
 六年前、母になりたての私は、イライラしたり、当たり散らしたり、もちろん今でもそう変わりはないのだが、あの頃は初めてのことが多すぎて、不安に押し つぶされそうだった。親らしいことは何もできなかったが、三つのことを心に据えた。一つ目が「食」。好き嫌いなく食べられる子にしたいと思った。二つ目が 「外での遊び」。自然と共に、他の子ども達と共に、体を使ってその感覚から学んでほしかった。そして三つ目が「絵本」だった。ドタバタとあわただしく過ぎ る子どもとの日中、寝る前に呼吸を整え、絵本を読むと落ち着いた。それは、私のみでなく、子ども達にも通ずるもので、心が穏やかになると、マイナスさえプ ラスになる気がしたものだ。
 考えてみると、「読んでやっている」と言うより「読ませてもらっている」なのかもしれない。絵本を読む時は、三人並んで寝ころんで、ピタッとくっつくの が習慣になっている。息子は最近、幼児から少年へと変身中で、抱っこも減ってきているのだが、この時だけは、
「ね~遠いよ! もっと近くにこないと見えないよ~!!」
と、駄々をこねた感じに言ってみると、
「全く、しょうがねえなあ」
なんて言いながらも、まんざらでもない様子ですり寄ってくる。また、怒りすぎた日の夜は、特に優しく読み語った気がする。
(ごめんね。ママやり過ぎだよね。でも本当は大好きなんだよ)。
と言う気持ちを込めて。もちろん言葉として思いを伝えることは大切なこと。でも、絵本を介すると心が伝わる。そんな気持ちになる時が何度もあった。
 六年前、心に決めた三つのこと。今考えるに、無意識の中にも心と体に何が一番大事か模索していたように思う。息子も娘も小柄な私に似てか、背の順はいつ もクラスで一番。でも、何でも感謝して食べられるし、公園遊びはお手のもの。どんどん新しい遊びを創りだし、友達大好きになった。そして三つ目の絵本から は、心の成長に必要なものの多くを吸収しているようだ。
 そんな中、この四月、私にも小さな変化があった。人前で話すなんて、もっとも苦手なことの一つで、幼い頃から手に汗ばかり握り、ことあるごとに逃げてい た私が、小学校の読み聞かせボランティアに入ったのだ。ざわついた昼休みの図書室は、寝る前の絵本タイムとは全くの別ものだが、絵本を通じてこの子達の心 が安らかになったらいいな。そして子ども達みんなの未来が明るいものだといいな。と、絵本を楽しみつつも、やはり本の内容とはまた違った次元で様々なこと を考えている自分を意識すると、家での絵本タイムと共通するところも多いのかもしれない。
 絵本を読むことで結び付いていた私の心と子ども達の心。あとどのくらいこの時間を楽しめるのか。子ども達が自ら読書を楽しめるようになるその日がそう遠 くないことがふと頭をかすめると、嬉しいような、ちょっともの寂しく切ないような複雑な思いである。私の子育ては、絵本とは切り離せない。少なくとも、右 と左に息子と娘をペッタリくっつけて絵本を読み、大きなあくびのあとの心地良い寝息に包まれながら毎日を終える今の私には、あの時間がなくなり、「おやす み」と告げて、各々子ども部屋に入っていく子ども達
は想像できない。
 きっと数年後は全く別の世界があるに違いない。もしかしたら、読み聞かせが読書に変わるだけかもしれないけれど。でもその広い世界に飛び込んだ時、少し でも心の底に寝室に並ぶ絵本やあのペッタリの時間から感じたものが流れてくれていたらと切に願っている。
 人は成長する。それ以上に子どもの成長は早い。だからこそ、今この時間を満喫し、大切に過ごしたい。今晩はあの子達、どんな絵本を選んでくるのかな。

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